夢野山立江寺
沿 革
大正初期
四国八十八ヶ所霊場第十九番札所
立江寺の別院として元高野山管長
庄野琳真大僧正猊下が開創される
昭和13年
阪神大水害
土砂崩れにより石仏像、石社の一部を損壊
石仏像は現在の参道にお祀りされている
※写真は現在の参道
昭和20年
神戸大空襲
伽藍の大部分を焼失するも大師堂は免れる
後に井上紀生僧正が当山の本堂とする
昭和28年
井上紀生僧正が住職に就任
たちえ幼稚園の前身、たちえ保育園を開園
昭和59年
境内地を舞台造りにする
納骨堂「萬霊堂」が完成
昭和62年
鐘楼堂「平和の鐘」が完成
梵鐘は摩耶山から空輸される
平成元年
井上紀生僧正が旧嵯峨御所大本山大覚寺
第57世門跡に就任
平成11年
現在の本堂を建立
井上弘昭僧正が住職に就任